ミャンマーってどんな国?
5月2日夜から3日にかけて、ミャンマーの最大の都市ヤンゴンなどを大型のサイクロンが
直撃し、死者2万人以上、行方不明者4万人以上の被害を受けました。
(5月6日、ミャンマー国営テレビの発表による)
被害状況がまだ十分に把握されていない地域もあり、被災数はさらに増える
見通しのようです。このミャンマーですが、日本ではあまり知られていない国ですよね。
今回はこのミャンマーにスポットを当ててみましょう。
ミャンマーの公式の英語表記は、
Union of Myanmar(ユニオン・オブ・ミャンマー)、
日本語表記ではミャンマー連邦です。
このミャンマー、1988年まではビルマと呼ばれていました。「ビルマの竪琴」で
おなじみのビルマです。
ミャンマーは、イギリスの植民地だったのですが、1948年にビルマ連邦として
独立しました。独立当初から政権は不安定な状態にあり、国軍が徐々に力を
つけていきました。そして国軍のネ・ウィン将軍が1962年に軍事クーデターを起こし、
1988年まで軍事独裁体制を維持していました。
なお、この軍事クーデター以来、憲法と議会は廃止され、その状態が
今まで続いています。
しかし経済政策の失敗から深刻なインフレを招いてしまい、1988年に
ネ・ウィン将軍退陣と民主化を求める大衆運動が高揚してきたので、
ネ・ウィン将軍は7月に退陣しました。
そして9月18日に軍部がクーデターにより政権を掌握し、今まで軍部による政権
が続いています。国名がビルマからミャンマーに変わったのはこの軍事政権時代です。
1989年6月18日に軍事政権は、国名の英語表記を、
Union of Burma(ユニオン・オブ・バーマ)から、
Union of Myanmar(ユニオン・オブ・ミャンマー)に改称しました。
また都市の名前や川の名前もこのころに変えています。
例えば、旧首都でミャンマー最大の都市のラングーン(Rangoon)は
ヤンゴン(Yangon)に、昔地理で習ったイラワジ川
(Irrawaddy River)はエーヤワディー川(AyeyarwadyRiver)
に変わりました。
実はビルマ語では「ミャンマー」も、英語のBurma(バーマ)の由来となった
「バマー」も同じ意味の言葉であり、前者が文語的、後者が口語的に使用されることが
多いという違いがあるだけで、国民は特に意識することなく併用しているのです。
たとえて言うなら、「日本」を「にっぽん」と言ったり「にほん」と言ったりするような
ものなのです。
だから国名が変わったと聞くと、「えっ、国の名前って簡単に変えていいの??」
って私たちは考えてしまいますが、ミャンマーの人たちにとっては、わりと違和感の
ないことだったのですね。
軍事政権は1994年以降新憲法を制定するために、新憲法の基本原則を審議する国民会議を
断続的に開催してきました。この国民会議は2007年9月に終結し、新憲法案の賛否を問う
国民投票がこの5月10日に行われる予定でした。
今回の大型のサイクロンの被害により、被害の大きかったヤンゴンなどの一部だけは
5月24日に延期されますが、それ以外のほとんどの地域では予定通り行われる予定です。
ミャンマーは軍事政権であったので、これまで先進主要国が経済援助を凍結し、事実上の
鎖国の状態にありました。
また、2007年9月18日には大規模な反政府デモが行われ、これに対し軍事政権は武力による
弾圧を行いました。
このときに、日本人ジャーナリストの長井健司さんが銃弾で亡くなられたことは
私たちの記憶に残っているところです。
このようにミャンマーは私たち日本人にとって、遠くにある非民主国家、よく知らない
縁の遠い国、こんなイメージではなかったでしょうか。
実はミャンマーは、かつては東南アジア有数の大国であり、イギリスの植民地時代には
東南アジアで最も豊かな地域のひとつでした。
コメの世界最大輸出国であり、チークなど木材をはじめ天然資源が豊富で、石油生産や輸出も
盛んに行われていたのです。
また、地政学的にも中国とインドの間の回廊部分にあり、インド洋にも面している非常に
重要な国なのです。
私、山本は、現在のミャンマーは、軍事国家から民主国家に移行する過渡期にあり、
政治の安定の面からも、経済の面からも、もっともっと注目していかなければならないと
考えています。みなさんももっとミャンマーに関心を持ってくださいね。
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